不妊治療を卒業しました。

33歳で結婚して、病院に通い始めたのが3年後の36歳の3月だったかな。
大学卒業やプチ留学なんかもあって、ちょっとのんびりスタート。

2014年
3月 各種検査 タイミング
4月 人工受精
5月 子宮鏡検査
6月 子宮ポリープ除去手術
7月 37歳に
10月 人工受精

2015年
1月 ロング法採卵(2/7:7こ採卵して2個生き残りの意味)
   スプリット法授精(ふりかけと顕微授精半々)
2月 移植(1つ解凍時脱落残り0)
3月 妊娠→繋留流産
4月 流産手術
5月 糖尿病予備軍としてグリコラン開始
7月 ロング法採卵(1/5 2人希望のため移植せずに貯卵) 38歳に
9月 アンタゴニスト法採卵(4/7 残り卵:胚盤胞3、初期胚2)
10月 4BB移植→妊娠
11月 不妊治療クリニック卒業大学病院へ

2016年
1月 いわゆる安定期(バレエ再開)
4月 バレエ休み
6月 出産
10月 バレエ再開

2017年
4月 断乳
7月 40歳に。バレエ発表会(よく出たなぁ。レッスンしんどかった)
8月 通院再開 子宮鏡検査
10月 3BB胚盤胞移植→着床せず(残り卵:胚盤胞1、初期胚2)
11月 初期胚二つを胚盤胞に育てて移植(育成中1つ脱落)→着床せず(残り卵:胚盤胞1)
12月 4BC胚盤胞移植(卵なくなる)

※初期胚:受精卵の初期のもの。(グレードによるけど妊娠率30%くらい)
胚盤胞:受精卵が5日くらい育ったもの。(グレードによるけど妊娠率40〜50%くらい)
※BB、BCなど……卵のグレード。AAが一番よくてCCが最低。初めの数字は成長度合い。


辛かったこと


自己注射


採卵のために注射を打つんですが、液の種類によってはめちゃくちゃいたーい!(>_<)
一番痛かったのはFって注射。シリンジを押すのにかなりの勇気が必要だった……。
注射針さした後に勇気が出なくて抜いてもう一回刺し直したことも。
同じ機能の注射でも痛い、痛くないがあって、看護師さんいわく浸透圧の違いですって。
あと、アンタゴニスト。こちらは滲みる痛さ。
逆剥けがあるときにレモン汁触っちゃったような痛さ。酸性なんだろうね。
でも、これらの痛い注射を組み合わせたときが一番採卵の成績がよかったので、良薬口に苦し的な?
一番合ってたのかなぁ。
甘いものを口にしていると痛みが和らぐという、昔インタビューした小児科の先生の言葉を信じて、チョコを口に放り込んでから刺してた。
もう採卵は嫌。

薬の副作用


一番きつかったのがプロギノーバ。頭痛いし吐き気するし。
ソフィアAも二人目のために飲んだ時はひどく辛かった。

採血はそれほどでも


私は血管出てる人なので平気だけど、ものすごい回数の採血なので苦手な人は辛いだろうなぁ。
私は右も左も血管がでてるので、一回おきに腕をかえてました。
あと、私は採血で失神することがあるので、いつもベッドで横になって採血。

ラミナリア


流産手術、ポリープの手術でのラミナリア。
気絶するかと思った。これは起きてたらしんどい、と思って、気絶するように寝た。
流産手術のあとはすごく身体が辛かった。
出血すごくて貧血でフラフラだし、とにかく子宮がもとに戻ろうとするのが痛い。
たった8週程度で子宮はそんなにふくれてるのか、と。
産後と変わりない、というかもっと辛いくらい。
精神のダメージとのダブルパンチ。わんわん泣いた。

財布


採卵がざっと30〜40万円、移植が15万円でしょうか。
多分全部で使ったお金は250万くらい。
ただ、生命保険(流産手術とポリープ除去)と助成金と医療費控除で100万くらいは補填できたかな。ありがたかった。
6回までは助成金が出るので、リミットは6回と思ってた。(卵なくなって5回で終了)

2016年の4月からだったか、初回の体外受精の助成金が15万→30万になりました。
私はすでにやった後だったから適用にならなかったけど、30万も補助がでたら、安いクリニックだと10万弱でできるかもなので、悩んでる人は一回だけやってみてもいいかも。(年齢制限あるので注意)

友達


私はたまたまうまくいったけど、うまくいかなかった友達もいて、それがやっぱり辛い。
不妊治療って、時間がシビアだから、仕事続けるのって大変なんです。
痛い注射のアンタゴニストは午後4時でした。会社の事務所で注射打ってました。
高度治療に入った友達は、仕事を辞めたりセーブした子ばかりで、何年か治療に専念してたりして。
治療のために仕事を辞めて数年頑張ったけどダメだった、った場合、本当にきついなって思う。
友達の出産報告や子を見るのが辛いって話はネットで聞くけど、それは私はなかった。でもそうなっちゃう子もいるのは理解できる。

子供が欲しくてできないときに何が辛いかって、「幸せな親子」じゃなくって、「かわいそうな子」が辛かった。虐待死のニュースなんかみてると、うちや友達のところに産まれて来てたらもっとかわいがってあげられたのに、って思っちゃう。

子持ちの人が軽く口にする「女の子がよかった」とか「一人でいい」「子どもがいなかったらなぁ」もなかなか辛い。その言葉がさらっと出てくる環境が本当恨めしいくらいに羨ましい。

嬉しかったのは、寄り添う言葉かな。「うまく行くといいね」とか「がんばったね」とか。他の人はわからないけど、私は嬉しかった。
「絶対うまくいくよ!」などのやたら前向きな応援は、あまり簡単に言わないで〜〜って感じ。わがままだけど。


後悔してること


正直な話、もっと早く通えばよかった。とっとと体外受精しとけばよかった。
ステップアップまでに一年費やしたのがもったいなかったなーと。
卵が身体の中に限られた数しかないのはご存じの方が多いと思いますが、一周期につき10個とか20個の卵の素が候補となり育ち、最終的に一個だけ排卵するんです。残りはさよなら。
(たまたま二個排卵したら二卵性双生児になったり。)

体外受精だと、その候補を全部育ててとれる分だけ採卵して全部受精させてみて、うまく行ったのをピックアップできる。
例えば年齢的な問題で1割しか良い卵がないとして、自然〜人工受精だと1年くらいかけて良い卵にあたってさらにうまいこと色々行く確率にかけなきゃいけないのが、一回で行けちゃったりする。
私は卵巣年齢が高めだったのですが、それでも一回5〜7個とれてた。
多い人は20個とかとれちゃう。1割しか正常なものがなくても、1周期で2個確保できちゃうわけです。
手っ取り早い。

自然信仰の人で高度治療を嫌悪するヒトがいるのは知ってるし、子供に影響があるなら嫌だけど、産まれてきた子には、ホントなんの違いもないです。
高度治療までやりきったけどダメだった、の方が諦めが聞くと私は思った。

良かったこと


精神的には落ち着いた


人によるだろうけど、私はクリニック通う前の方が精神的にキツかった。
毎月落ち込んで〜。
でもクリニック通ったら、なんとかなりそうな気がして、もう、身をまかせるのみ!
これでダメならしゃーないわ、と開き直れた。

終わりを決めたら楽になる


40歳で治療をやめよう、と思ってスタートした。
始める前にエンドを決めておくのは良いと思う。
で、40歳になったら何するか楽しいこといっぱい考えた。
(年齢は人それぞれで、42歳とか45歳とか、上の子の小学校入学で諦めるという人もいた)
卵があったので、とりあえず二人目に関しては、卵がなくなったらおしまい、と思ってちょうど40歳で使いきりました。

産めたことはよかった


結局子どもを授かれたことは良かった。
もちろん授かれなくて多分同じくらい幸せに楽しんで暮らしてると思う。
子がいない人生、いる人生両方の人生は選べない。だけど、どっちでも幸せだという自信はある。
けどまぁ、不妊治療や出産で、良いことも悪いことも色々経験できたなぁというのはひしひし感じる。
年の離れた従姉妹や甥っ子姪っ子を見てはきたけど、赤ちゃんは知らないことがたくさんあった。
新しいことを知るのが好きな性質なので、面白い経験が出来たなーと。
産後半年は命の危険を感じるほどしんどかったけど。。
不妊治療に関しても、「なんで私がこんな目に」じゃなくって、「最新医療すごい!」って感じだったなぁ。
治療受けながら、アプリのネタとか浮かぶしねぇ。(ワーカホリック)

原因について


子供がなかなかできないと、女性に原因があるって思われがちだけど、実際のところ、原因がわかる不妊は対処ができるからいい。
原因不明(または検査しようがない)は本当にどうしようもなく。

うちは原因不明ながらも、マイナスになるかも、というのが、黄体ホルモン低め、子宮ポリープ、双角子宮(子宮奇形)、AMH低め(卵の数が少ない。いわゆる世の中で言う卵巣年齢)、糖尿病予備軍(卵の質が落ちる)というもの。

黄体ホルモンは薬補充でOK、ポリープは取った、双角子宮は軽度で妊娠には問題なし、AMHは閉経早いだろうね、くらいで卵はまだ作れる程度、糖尿病予備軍は薬飲んで対応。
で、原因になるものは一通り潰しました。

検査して問題がなかったから大丈夫なはず、自然に待つわ、といった話も聞きますが、検査で分かるのは一部で、体外受精をしてみないとわからない受精障害なんかもある。(卵子に精子が入れないとか。顕微受精で解決できるんだと思います)
うちは体外受精でサクッと妊娠したので、キャッチアップ障害かなぁと言われました。
卵をキャッチして卵管に持って行くところができないというもの。
キャッチボールあんまり得意じゃないしなぁ……とよくわからない納得をしていました。
これも検査ではわかりません。(卵管造影の検査は問題なし)

妊娠できてもその後不育症に悩むこともあるし、安定期のあとに子供を亡くした友達も何人もいる。

いろんなものが全部全部うまくいって初めてオギャーなんだなぁと。

宝くじのコピーで「精子だった頃の運をもう一度。」っていうのがあるんですが、ほんま、宝くじ当たるよりレアな確率でこの世に生まれてきたんだなぁ、私、って思います。
(自分の子供というより、自分が。すごいやん自分、ってかんじ(笑))

クリニック中退


そんなこんなで不妊治療は卒業となりましたが、最後の卵は、かろうじてお腹の中にしがみついてくれました。
ところが、初期の6週か7週あたり、2018年1月中旬に大出血しまして、クリニックを追い出されて大学病院にいかされました。絨毛膜下血腫で切迫流産(流産しかけ)です。
一人目の時は卒業時にプチギフトや寄せ書きとかあったのに、何にもなく、そのまますぐ大学病院へ行って!という状況。慌ただしかった〜。
卒業というより、中退ですね。

その後2月いっぱいくらいまで一ヶ月ちょっと絶対安静の日々でした。あはっ。(笑い事じゃない)
発覚したときはすぐさま入院しろと言われたんですが、仕事あるので、絶対安静にするから!といって逃げ切りました。
朝は親がはるばる通い、ちびうさを保育園に連れて行き、帰りは1時間延長してうさ夫がお迎えに行き、親のおかず差し入れもあり、なんとまぁ、楽チンな日々よ。(それでも意地で毎日のお弁当だけは作り続けた)

仕事柄、体調にせよ、子供理由にせよ、「仕事できません」は簡単に失注につながります。
15年積み重ねてきた関係性であっても、1回で吹き飛びます。
それだけの意識を持って仕事をしてるし、それに備えて若いうちから会社組織にしたんだし、そういった姿勢でいる分、一人目出産を伝えたクライアントさんからも仕事減らさずに済んだと思っています。
そんなわけで、絶対安静中も事情は基本的にクライアントさんには伝えずに、ソファに寝転んで仕事してました。

でも、一件だけ書籍の作例の仕事がどうしても最終の戻しに対応できず(他の仕事との兼ね合いと体調により)、最後周りにご迷惑をかけてしまって申し訳なかったな……と思っています。
カミングアウトした分余計気を使わせてしまいました。

そんなこんなで1歳児がいるにもかかわらずひと月ほどのんびりさせてもらい、4月からは1歳児も近所の保育園に無事入園できたため隣駅までの自転車送迎もなくなり、安定期に入る頃にはすっかり良くなってバレエも再開できました。

妊娠中、テンションが上がるのは前回同様でして、産月の8月になってから中小企業診断士を受験してみたり、プログラマーさんを雇い入れて新規事業を始めたり、事務所契約して産後一ヶ月で移転予定だったり、なんか頑張りすぎています。

なんとか、正産期(37週〜)にたどりつき、38週0日の今日3時から、予定帝王切開です。
いってきます。

出産祝いはお仕事で!

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カテゴリ:子育て